EP1CP3−3
「着、い、たぁー!最初の目的地、ダンバートン!」
日が真上近くに差し掛かろうとしているその下、ポニーテールの髪を揺らし今朝の寝起きの姿からは想像出来ないほど軽いステップを踏みながら、目の前に聳え立つ大きな門を見上げ笑みを浮かべている少女、エルニア。
ダンバートンとは、地理的にこの大陸の東側中央に位置し、西に王都や大聖堂のある大きな街、南に鉱山の村、東に漁村と、各方面からの中継地点としても繋がりがよい事から冒険者達の活動の拠点として選ばれることが多い街の一つである。
高い石造りの塀によって囲まれたこの街は北、南東、西の三箇所に大きな門が設けられており、ここはそのうちの一つ、北の門。
どこかの町に向かうのであろう多数の荷物を載せた馬車や、多様な身なり、武器を携えた冒険者らしき人々が傍をすれ違っていくのを見やりながら門をくぐり抜ける。
そして広がる街の景色に、エルニアは思わず感嘆の声を上げていた。
石畳で舗装された道が広がり、その大通りにあわせ整理されて並び建っている数々の建物。
ここからも見える街の中心、3つの門から伸びる大通りが交差する中央大広場。
そこへ集まっている、村では見た事がない程賑わっている数多くの人々。
ある者は自らがダンジョンで収集してきた物や手製の雑貨等を売り、ある者は楽器を奏で、ある者は談笑に浸る。
ずっと自らの育った村にあった彼女にとって初めて・・・いや、かつては村の広場にも小さくとも見られた光景ではあったが、それの何倍、何十倍かとも思うほどの賑わいと活気がそこにあった。
「ね、ウェルス!私たちの最初の目的地に着いたよ!」
高揚した気持ちが抑えられないままくるっと回り、つい先程まですぐ後ろにいた人物に向けて話しかけるが、その相手は彼女が思ったよりも後ろのほうにいた。
「そりゃ、よかったな・・・」
まだ門のすぐ外、ウェルスは微かにではあったが何か具合いの悪いかのように表情を曇らせ、顔を伏せがちにしながら立ち止まっていた。
よく見ると、昨晩の襲撃にあった時よりいくらか生傷が増えている上に所々汚れている。
「ウェルス、だいじょぶ・・・?」
肩に乗っていた、彼の持つ剣に憑いている精霊、ミネルの心配する言葉に浅く頷き、塀の内側へと歩みを進め傍の石壁にもたれかかる。
安堵と共に周囲の気配へ意識を向けるのをやめ、つい大きな溜息を吐いてしまう。
人間、最大限に集中できるのが約15分、長くても90分程度が限界らしいというのをどこかの世界で聞いたようなおぼえがあるが、それを昨日からずっと、しかも昨晩の襲撃以降、より集中力を上げての気配察知を不眠で今まで続けていた為、反動による重い疲れと目眩の症状が出ていた。
本来であれば不眠で戦い続けることは仕方なくではあっても幾度と経験しているので、適度に気を張るところと抑えるところの切り替えは身に着けているはずなのだが、今回はそれがまともに出来ずにいた。
こうなったのも元はと言えば自分の落ち度、と彼自身思っているのだが、あえて他に原因といえるものを挙げるとすれば・・・
ウェルスの様子に気付いたエルニアが急いで走り寄り、下から覗きこむように呼びかける。
その表情に何か言いたそうな顔をしたかと思えば、肩のミネルにも一度視線を向け目を伏せること数秒。
ウェルスの様子に困惑するエルニアであったが、ふとウェルスがエルニアの左肩にぽんと手を乗せ、目を開いたウェルスはこの半日で思った事をつい呟いた。
「エルニア・・・まさかとは思うが、革命だとか世界征服だとか、なにかとんでもないレベルの願望、持ってたりしないよな・・・?」
ガックリと項垂れながら、先程よりも重い溜息混じりに小さな声で出たウェルスの言葉に、えええ?!と素っ頓狂な声をあげて驚いた。
時は今朝、野宿していた場所より出発して直ぐに遡る。
「それじゃ約束通り!」
街道を挟むように広がる野原、そしてその先に生い茂る森の木々の葉を朝の涼し気な風が揺らす中、そう言って歩きだそうとしたウェルスの前を遮るように飛び出し満面の笑みを浮かべているエルニア。
一方のウェルスはその表情に半ば気圧されつつ「ついにきてしまったか」と内心焦っていた。
昨晩、中々眠ろうとしなかったエルニアに、自分の事を話すと言ったのはウェルスだ。
言いづらい所も多々あるという事はエルニアは理解してくれているらしいが、しかし本当にどのあたりまで話すものか・・・と思い悩んだ。
多少特殊な要因はあっても曲がりなりにも人の身、今までの出来事全てを覚えていられるはずもないのだが、記憶に残っているだけでも突拍子も無い内容が多すぎる。
こういう時、手始めにどんな所に、どんな家庭に生まれたとか気軽に話せればとは思ってもまさか「あの事」を言う訳にも。
考え込んでいるウェルスの様子に、エルニアは苦笑いしながら「とりあえず歩こ?」とウェルスの右手を取りながら歩きだす。
半ば引っ張られる形でウェルスも歩き出すのだが、難しい顔は変わらないままだ。
それを見た肩に乗っていたミネルが、こっそり耳打ちする。
「あのね、ウェルス・・・あたしを拾ってくれたあなたには嘘つきたくないから言うけど・・・」
目を向けると、何か言いにくそうにしているミネルの顔があった。
わざわざ小声で話しかけてきたその様子に、ウェルスは考え込んでいる最中ではあったが切り替え、まだ手を握ったまま前を歩くエルニアが自身の方を見ていないのをちらと見てから続きを黙ったまま待った。
しかし。
「ウェルスが言いたくないことの一つだと思うんだけど・・・その、多分契約の影響で、ウェルスの体のこととか分かっちゃったんだ・・・」
その言葉に目を見開き、心臓がばくん、と衝撃を受けたような気がした。
確かに、ミネルに名前を与えた時から、何かしらの繋がりのような物をウェルスも感じてはいたが、よもやそんなところが知られるとは思いもよらなかった。
急ぎ両目を一度閉じて開き、その目に赤い視覚、RSSを起動。
表示される多数の項目の中に、〔LINK〕という項目が点滅して表示されていた。
それに意識を向けるとその項目が展開、〔Artifact:SIENNA-LINK正常・偽装モードにて待機〕等といった別の項目が現れていき、その中に見つかった。
〔SpiritWeapon:MINEL-LINK確立中・完了後まで詳細開示不可〕という内容が。
ミネルの言っている事は、本当だった。
この世界の冒険者達はこんな事を意識する事はないだろうが、自身のこれだけ深いところ、根幹に関わる所で繋がりが出来ているとは思いもよらなかった。
その表示項目にさらに意識を向け、あるコマンドを送り、現れた〔ON・OFF〕の表示から〔ON〕を選択する。
もう一度両目を閉じて開き、通常の視界に戻るが、その視線はいくらか下を向いていた。
―・・・ミネル。
「ッ?!」
ウェルスが口を開くことなく聞こえた声に、ミネルは驚きウェルスの顔と周りを見回した。
―今、お前の言った契約が関係している繋がりのようなものを手繰って、一種の回線を追加で繋いだ。これで、意識的に思ったことを伝えようとすれば口にしなくても会話出来る。
変わらず、ウェルスの口は動いていないのに聞こえる声に、ミネルは半信半疑で言葉を思い浮かべた。
―・・・こう、かな?すごいね!昨日契約したばかりなのにこんな・・・
―ミネル、俺の体の事エルニアには言うな・・・
ミネルの言葉を遮るように、いくらか低く感じて聞こえた声に、ミネルは固まった。
ウェルスはただ、エルニアに確実に聞かれることの無いよう、これを伝える為だけに念話のような式を追加したのだった。
しかし、ミネルが思わず固まってしまったのは、こんな事を勝手に知ってしまって怒られると思っていたのに、聞こえたウェルスの声がどこか悲しそうに感じたからだ。
―ミネルがどこまで知ったか分からないが、俺の体は人の手が入った〔作り物〕で、活動に支障が無いようにしてもらっているとはいえ、ある戦いで死ぬ、いや、消滅寸前の状態になったのを、延々と伸ばしてもらってるだけの〔壊れ物〕だ。
続く言葉は、ミネルが感じた事、それらを肯定する言葉だった。
実際、見た目では分からないがその体は全く成長することは無く、また所々、マナを通す回路等含め消滅しかけた当時のダメージが不具合として残ったままとなっており、その弊害の一つとしてウェルスは一定以上の難易度、世間一般で言われる上級魔法、下手をすれば中級者の魔法使いが使うようなものでさえ行使するには危険を伴うというリスクを抱えてしまっている。
ウェルスは、先ほどRSSを起動した時、それらの事はもはやミネルにはばれていると分かった。
言い訳も意味がないと。
―出来れば、ミネルにも知られたくは無かったが・・・これは俺が悪い。今更だが、こんな半ばゾンビみたいな奴、嫌だったらダンバートンについた時にでも他の人に移譲出来ないか方法を探して・・・
その瞬間、ミネルはウェルスの肩から飛び、下を向いていたウェルスの視線を遮るようにとまり、片手をその眉間に添えた。
―い、や!他の人に渡されるなんて、絶対に嫌だから!
―・・・なんで・・・
怒ったような表情で、真っすぐ、ウェルスの蒼い目を見据える紅い瞳から、涙をこぼしそうにしていた。
まだ、契約したとはいえたった一晩共にしただけだ。
途方もないほど異世界を旅し続けていれば、当人が望まないにも関わらず、異質なその体の事が気付かれることもあるのは、ある意味仕方ないと言える。
そしてウェルスの体の事を知れば、不気味がり、或いは恐れを抱き離れる者は当たり前のようにいた。
それなのに。
―ウェルスの手、エルニアとか他の人より少しだけ冷たいよ?でもね、温かかったんだよ?
もう片方の手を、ウェルスの眉間に添えていた手に重ねたミネルは、わずかにその涙を零しつつも笑みを浮かべた。
その表情に、ウェルスはエルニアから時折感じた、うまく言葉に出来ない痛みを感じていた。
「ね、ウェルス・・・ってミネル、どうしたの?」
ウェルスの手を引いていたエルニアが振り返るが、困惑しているようなウェルスの顔の前に浮いているミネルの背中を見て立ち止まった。
「ん、なんでもなーい♪久しぶりにゆっくり寝させてもらったから、目やにとかなんてついてないか見てもらってたの」
そう言って手で顔を拭い、ウェルスの左肩へと移って腰かけた。
先ほどまでと変わらないような顔をして。
―ウェルス、ごめんね。さっきの話とりあえずわかったよ。でもあたしはウェルスに使ってもらいたいから。
―・・・そうか。つまらない事で困らせてしまった。悪い。
まだその表情は晴れてはいないが、ぎこちなくではあるが左手の指先でミネルの頭を撫でるように軽く置いた。
直接、触れられなくても、ミネルはそれに満面の笑みを浮かべていた。
その様子に首を掲げているエルニアにも視線を向け、にこりと笑う。
ウェルスはこの世界に来てから、不思議に思っていた。
今、こうして共に歩いている一人の少女と、一本の剣に憑く精霊から畏怖や軽蔑といったような類の感情を感じないのだ。
突然目の前に現れ、理解の及ばない力を見せられれば。
考えないようにしていても、その事実は変わることの無い自身の体の事を知られれば。
何故・・・
そしてそのどちらも、特に何故向けられるのかわからない悲しい顔をされた時、ここまでこのよくわからない痛みを感じるのか。
何故・・・
「・・・ルス、ウェルスったら!」
答えの見つからない自身への問いにふけってしまい、エルニアの声に反応が遅れてしまった。
「大丈夫?やっぱり昨日ずっと起きて守ってくれてたからどこか調子が悪いとか・・・?」
握っていた手の力が強くなり、立ち止まったままだったウェルスの顔を覗き込むように見る。
「いや・・・ちょっと考え事をしてしまっていた。悪い、何だったか」
確かに疲れは溜まっているが、それよりも思い悩んでいたのが顔に出てしまっていたらしい。
何でもなかったように取り繕いながら、エルニアの隣りになるよう歩幅を合わせながら歩き出す。
「ほんとに具合が悪かったらちゃんと言ってね?えーっと・・・そうそう、やっぱりウェルスも色々言いにくい事とかあると思うけど、また質問みたいな形で聞いていってもいいかな?勿論言えないことだったりしたらパスしてもらっていいから!」
昨日一日も、質問攻めにはあったものの、そのほとんどに答えることは出来なかった。
しかし、実際これから少しづつでも話していくのなら、下手にどこからどこまでと区切りをつけるよりもそのほうが楽なのは確かだった。
頷くウェルス。
「それじゃ最初の質問!」
さて昨日も散々聞かれたが、一体何がくるかと内心身構えるウェルス。
「ウェルスって元いた世界から冒険者だったの?」
・・・そんな質問からでいいのか?と何処か安堵する。
それくらいの内容であれば特に不都合も無かった。
「ああ、俺はこうやって他の世界を旅し続ける事になる前から、一応冒険者だった」
「一応?」
「・・・多分エルニアが知っているような、ダンジョンに潜って宝探しをしたり、人から依頼を受けてその報酬金をもらって生きていくような事もやってはいたが、訳あって他のことしていた期間の方が長かった」
あの世界でウェルス自身が生まれてからほんの数年。
その半分以上は仇を討つ為と、自身のルーツを探す為に費やしていた。
「へえ・・・実はそんな事言って元いた世界ではどこかの国の王子さまでしたー、なんて!」
何故かウインクをしながらの言葉に、今まで渡ってきた世界で該当する存在の一人へ、自分の顔を貼り付けて想像してみる。
ドデカい宮殿で、ド派手な衣装に身を包み、ド贅沢な生活風景の中で、相手より高いところから見下ろし受けた話の内容を鼻で笑い、兵士に槍を向けさせ高笑いしている・・・
そこまで考えて一瞬額にビキリ、と青筋が浮かんだ感覚と、頭痛と吐き気が同時に襲ってきて空いていた左手で思わず頭を抱えた。
同時に「あの時もう2、30発くらい、いや塵一つ残さないようにありったけ魔法ぶち込んでおくんだった」とエルニアには聞こえないような小さな声でつい呟く。
それが聞こえていたのか、何か感じたらしい左肩に乗るミネルは唖然としていた。
「・・・それは絶対にないと断言させてくれ」
「あはは冗談冗談!でも人は見かけによらず、なんてこともあるしね!」
ウェルスの様子が面白かったのか、エルニアもクスクスと笑いながら右手を上下に振っている。
「そう言ってまさか、エルニアが身分隠したこの国かどこかの姫さんとかって・・・ないよな?」
左手を下ろしながらそう返すウェルスに、思いがけない返しだったのか数秒キョトンとした様子で黙ったエルニアだったが、それが嬉しかったのか先ほどよりも笑い声を上げながら、ないないと顔の前で手を振る。
「ざーんねん!私はついこの間ありえない状況で死んじゃうとこだったのを、素敵な剣士さんに助けてもらった村娘Aだよっ!」
「素敵なってお前な・・・俺はそんな人間じゃ・・・」
あーでも、と、ウェルスの言葉を聞こえないふりをしながら、穏やかな天気の空を見上げる。
「私がほんとにお姫様だったら、もっとちゃんとした形でお礼出来るのになー。莫大な謝礼金を贈って、傍に仕えてもらって不自由なく暮らしてもらっちゃったり?」
再びウェルスの方を向き笑いながらそう言うが、どう見てもその顔にはいたずらっぽい物が混ざっているのはウェルスもすぐに気づいた。
「堅っ苦しい宮仕えなんてごめんだ。頭下げて辞退する」
「なんとなくそう言うと思った!でもパートナーの件引き受けてくれたのもあわせて、何かお礼したいと思ってるのは本当だよ?」
真っすぐウェルスの目を見てそう言うエルニアの言葉に、複雑な思いをしながら目を伏せた。
「・・・何度も言うが俺は礼をいわれるような事なんてしていないし、そんなの気にしなくて・・・ッ!!」
唐突に感じる寒気。
話しながらでも周囲へ向けていた気配の察知可能な範囲に、異質なものが驚く速さで突っ込んできていた。
悪いと断りながら握っていた手をエルニアから離し、振り向きざまに背の大剣、ミネルの本体を引き抜く。
同時に巻いていた布がめくれて傍に落ち、その透き通るような青い刀身が現れた。
ウェルスの様子に何かを感じたらしいミネルは、すぐさま肩から飛び上がり、一瞬の光と共に光球と姿を変え大剣と一体化する。
エルニアはその様子に驚くも、今度は何事か問うことはしなかった。
昨晩と同じ、鋭くなったその目に腰のワンドを手に取りその視線の先へ目を向ける。
ウェルスの視線が向けられていた先、今まで彼らが歩いてきた街道の先に「それ」はいた。
黒き体毛を逆立たせ、鋭い牙をむき出しにし、言葉は無くとも憎悪のような物を感じさせるには十分すぎる程の眼光。
昨晩襲い掛かってきたのと同じ、黒い一匹の狼。
しかし、「それ」から感じる異質さは一匹でいることではない。
「ちょ、ちょっと!狼にしては大きすぎないっ?!」
思わずウェルスへ横眼を向けながら発した言葉に、ウェルスは狼に向ける視線を変えないまま頷いた。
離れた位置とはいえ、明らかにウェルス達へ敵意を向けているその狼は、四肢をついているその状態でも地面から頭の先まで大まかな目測として人間の大人を超える程の大きさがあった。
ウェルスは思い出した。
ティルコネイルの学校で訓練していた際、時折狂暴化した野生動物の中には、魔族によるものか何かしらの影響を受け、変異したものが現れることがあると聞いた事を。
その一種として、ティルコネイル周辺に現れる事もあるという、同種の狼を従える群れのリーダー格。
巨大狼。
単なる大きさだけでなく、昨日相手にした狼達とは比べ物にならない威圧感に、今、目にしているのが「それ」なのだと、疑う余地はなかった。
「ちっ・・・昨日襲ってきた群れの中にボスらしいのが見当たらないとは思ってたが、あいつがそうらしいな」
ウェルスのその声にまるで合わせるかのように、獰猛な雄叫びを上げ地をけり、突進してくる巨大狼。
体積的には明らかに自分達より大きなその黒き弾丸、いや、砲弾を前にまともにぶつかり合うのは危険と即座に判断したウェルスは即座に氷の初級魔法、アイスボルトを、エルニアもそれにあわせ同じくアイスボルトのチャージを開始。
互いにフルチャージが完了し、それぞれ5つづつ、計10の青い氷弾が二人のまわりを浮遊する。
まだ魔法の威力が大幅に落ちる有効射程外、迫る殺意を纏った獣にエルニアは気圧されそうになるが、全弾撃ち込んだら効いても効かなくてもすぐ左に避けろというウェルスの言葉に、ワンドを握り直しわかった!とはっきり頷いて見せる。
「今だ!!!」
まさに、ウェルスの言葉尻から二人の魔法の発射のタイミングが、巨大狼が有効射程内に入る瞬間と重なるのを見越した合図。
氷の初級魔法、アイスボルトの特性はそのチャージ速度と、牽制に向いた連射力。
発射と同時にすべてを開放する火と雷の初級魔法と異なり、威力は劣るもののあらかじめチャージした数がそのまま連射可能数となる。
次々と高速で放たれる氷の弾丸に、その大きさも相まって避け切れるはずもなく突き刺ささっていく。
そう思われた。
だが、ギィン!と、この状況で聞こえるはずのない、まるで金属同士がぶつかり、弾きあったような音が鳴り響き、巨大狼のその体躯にぶつかった氷弾は次々に弾かれ砕け散っていく。
「まさか・・・!〔マナリフレクター〕持ち?!」
驚愕する中、その現象に心当たりがあるのかエルニアが声を上げるがその内容を問う間はない。
「くっ、エルニア!」
ウェルスの言葉に先ほどのやり取りどおり、すぐさまエルニアがウェルスの左側へと飛び出す。
それに気を取られたのか、ウェルスへと向かっていたその突進の速度がわずかに落ちた所へ、一発だけ残していた氷弾を巨大狼の鼻先へ向け発射。
本来ならそのまま顔面へと突き刺さり場合によっては致命傷にいたる攻撃であったが、触れる直前、エルニアの言ったマナリフレクターに反応したのか、氷弾は簡単に砕ける。
しかし、ウェルスにとってはそれでもよかった。
砕けた氷弾はそのまま目くらましとなり、巨大狼が怯む。
氷弾を放った直後には両手で握りなおした大剣、ミネルを右下段から振り上げ、側頭部から左目あたりにかけ一閃。
その勢いのまま瞬時に軸足をかえ、巨大狼を挟んでエルニアの向かい側となった瞬間、思い切りミネルを振り回転しウインドミルを放つ。
昨晩ミネルを開放した時のような激しさは無いものの、冷気を含んだ風が巻き起こり、巨大狼の突進の威力を殺し、斬撃を与えながらわずかではあるが真上へと噴き上げる。
「吹っ飛んじゃえ!ファイアボルト!!」
その瞬間が来るのを、まるで事前にわかっていたかのように、今度は火の初級魔法による火球を放つ。
この僅かな間、完了したのは1チャージ分だけとはいえ、火の初級魔法の特性である直撃時相手を吹き飛ばすという特性は変わらない。
身動きの取れない巨大狼の横っ腹に火球が直撃、その体の表面でわずかに火球を構成するマナが散るのが見えたが、その巨体を吹き飛ばし体勢を低くしていたウェルスの頭上を飛んだ。
地面にその勢いのまま叩きつけるが、巨大狼はすぐさま起き上がり二人から一度距離をとる。
左目を失い、頭部からは流血。そして体はかなりの衝撃を受けたはずだが、向けられるその威圧感はより高まっているのが二人とも感じた。
エルニアはウェルスのすぐ隣に寄り、剣を右下段に構えなおしたウェルスはじっと周囲を含め様子を探る。
膠着状態となるかとも見えたが、巨大狼が先程よりも低く、恨み憎しみが込められたかのような咆哮を上げ、街道からはずれるように駆け出す。
そして、近くの森へとその姿を消していってしまった。
気配が、察知可能な範囲からも離れたのを感じ、ウェルスは構えを解いて息を吐きだした。
「・・・今は日も高い。群れのほとんどをやられた復讐だがまずは宣戦布告、ってところか」
最後まで向けられていた殺意、それに対しての去り際の様子からそう感じたウェルス。
「エルニア、よく合わせてくれたな」
隣に立つエルニアへ向き直り、絶妙なタイミングで追撃を入れてくれた事に素直にそう言葉にした。
それが嬉しかったのか、腰にワンドを戻しつつ、笑みを浮かべながら指先をウェルスの胸にあてた。
「ウェルスが自分に注意を向けさせようとするの、わかっちゃったからね。でもよかった、怪我もなくて!」
表情を明るくしながら両手を後ろで組んでウェルスの顔を覗き込むが、逆にウェルスはその言葉に内心痛みを感じた。
「いや、言いにくいんだが・・・」
言いよどむウェルスの様子に首を傾げるエルニアだが、突然大剣からミネルの精神体が飛び出し慌てふためる。
「ウェルス!きれてる!きれてるよ?!」
ミネルの言葉に何がと聞こうとしたが、ウェルスの左腕から肩にかけて浮き上がっていたいくつもの大きな裂傷とそこから流れる血に目を見開いた。
実はエルニアがファイアボルトで巨大狼を吹き飛ばした直後、確かにウェルスはその巨体を躱していたはずなのだがあの巨大狼、その状態にもかかわらず目にも止まらぬ速さで爪をふるい、咄嗟に頭部を守るように上げたウェルスの左腕を浅くではあったが引き裂いていた。
「だ、大丈夫?!包帯とポーション・・・!」
慌てながら荷物の中から取り出し、止血だけでいいし自分でやるからというウェルスの言葉を無視。
そのまま口に突っ込まれそうな勢いで目の前に突き出されたポーションに、ウェルスは街道傍の野原へ腰を下ろし、渋々受け取る。
エルニアはそれを観念と捉えて止血の為きつく包帯を巻き始める。
正直、かなり痛いのだが文句を言う訳にもいかず、手がふさがっているので受け取ったポーションの蓋を仕方ないから歯で開けるかと思ったが、既に外してくれていたことに気付き礼を言いながらあの瞬間の事を思い出す。
「しかし、あんなタイミングで反撃できるか普通・・・」
いや見た目からして普通じゃないか、と呟きながら中身を飲み干す。
傷はそれ程深いものではなく、ポーションの服用と併せすぐに血は止まった。
しかしエルニアからはそのまましばらく包帯を巻いたままにするように釘を刺された。
左腕に巻いた包帯・・・その位置的にも嫌な果たし状を残されたなとウェルスは苦い顔をする他無かった。
無傷とはいかなかったが、巨大狼をなんとか退けられたウェルス達。
しかし、事はそれで収まったわけではなかった。
その後一時間もかからないうちに、今度は凶暴化していた野たぬきの群れにたかられるわ、 街道の先から人の乗っていない暴走した荷馬車が突っ込んできて追っかけ回されるわ、道中にあった伐採キャンプを通りかかった時には仕事中の木こりの手元が狂い手斧が飛んでくる始末。
一番ひどいのは、街路沿いに生えていた一見何の変哲も無い木が突然バキバキと音を立てながら幹ごと折れ、エルニアに向かって倒れてきたことだ。
間一髪、ウェルスが腕を掴み引き寄せたことで難は逃れたものの、見てみれば虫害を受けたのか幹の中は空洞となり腐っていた。
これは確かに、いつ倒木してもおかしくはなかったのだろうがウェルス達が通りかかったこのタイミング、しかも真っ直ぐエルニアの方に向かって倒れてきたというのだから、そんな[偶然]まで使うかとウェルスは頭が痛くなっていた。
そんなわけで、昨晩出会ったばかりの精霊に自分の体の事はバレるわ、厄介な相手に狙われるわ、ありえないレベルの不運を装った殺意にさらされるわと、心労を重ねた上で一瞬たりとも気が抜けなくなってしまったウェルスはこの有様である。
当人はそれを思い返し、再び深い溜息をついた。
目を開くとそこには「なんで?!なにか悪いことしちゃった?!」と狼狽し慌てふためているエルニアがいる。
勿論、これはエルニアが悪いとウェルスは思っている訳では無いが、昨日ティルコネイルを出てから丸一日も経たずこれだけ[狙われる]のは余りにも異常だ。
ましてや、ウェルスの危惧していた〔村の外、魔物に襲われて〕という事象内容から外れた物がどうも入りすぎている。
経験上からだが、こういった例はウェルスにはいくらか心当たりがある。
それはその世界にとって、〔どうしても生きていては困る〕場合だ。
時に、たった一人の存在であっても世界の在り様を変えてしまうような力を持っていたり、事を起こす存在というのは、[その世界においての正常な時の流れ]の中でも時折出てくる。
しかしその多くは暗殺、天災、事故、病気等、人為的なものから普通起こりえないと判断される程低確率な偶然まで、数えきれない程多様な事象が、そんな人為的、偶然的な様々な要因によって潰えていることも多い。
後の世において、「もしあの人がそのまま生きていたらこんな世の中になっていたかもしれない」「もしあんな出来事が本当に起こっていたら今の文明は崩壊していた」というものだ。
一歩、いや、ほんのわずかな事象の狂い一つで本来の時の流れから大きく外れてしまうような存在や事象が起こってしまった場合の、世界自体の持つ修復しようとする力が過剰に反応した場合、本来の形から多少外れた形であってもその存在の削除、事象の改ざんが行われようとする場合がある。
考えても見れば、最初にエルニアが襲われた時の状況は、普通出くわすことの無いものだった。
ただの平穏な村に住んでいる少女が、本来、一方通行の出口としてしかつながっていないはずの結界に迷い込み、しかもそこで一般人が目にする事等無いような怪物に遭遇して死ぬなど。
もしかしたら、エルニアが生きている事によって何かしら世界の流れに大きな影響を与える事柄が間接的にでも起きるのか、または当人が起こすのか。
ここまで執拗かつ本来の形から外れてでもエルニアを消そうとするのはもしかしたらそういったことがあるのかもしれないとウェルスは考えた。
しかしウェルスにはどうしても、まだわずかながらこの世界で日々を共にしたエルニアが、自分から何か悪いことをしようとするようには思えなかった。
だからこそ、ウェルスはなお思う。
ただ、「本来の時の流れ」と違うからと、自分の目の前から奪い取ろうとする「世界」というものはやはり嫌いだと。
それがたとえ、自身の役割と相反する考えだとしても。
「悪い、ちょっと冗談のつもりで言ってみただけだ」
エルニアの右肩にも手を乗せ、軽く押して壁から背を離し手を下す。
その様子と言葉にきょとんとしながら首を掲げるエルニア。
「え・・・ほんとに?」
「本当だ。お前はなにも悪いことなんてしていない」
言葉にしながら、ウェルスは改めてそう思う。
今日起きた事も全部、エルニアが起こした事ではないのだ。
決して。
「もー・・・一緒に来て今更だけど、これでもウェルスの邪魔になってないかなとか結構気にしてるんだからね?」
「あれだけあわせてくれて、そう言ってくれる相手が邪魔なわけないだろ」
ぽん、とエルニアがいつも被っている濃桃色の帽子の上から頭に手を乗せ、自分でも不思議に思うほど、そんな言葉が自然に出るのをウェルスは感じた。
しかし、頭に手を乗せるのは少し失敗だったらしい。
何故か、ミネルは小さな声で「いいなー・・・」などと言っているし、エルニアは何か気に入らなかったのか、むー・・・と唸っている。
が、ふと何かに気づいたらしく胸の前で両手をぽんと合わせた。
「ほんとにそう思ってくれてるなら、一つお願いしてもいい?」
エルニアの様子に離すなら今かと手を下し、続きを促す。
「はじめて会ったあの日言いそびれちゃって、そのまま中々言い出せなかったけど私の事、エルって呼んで!」
それがわたしの愛称だから!となにか照れ臭そうにしながらも、エルニアは笑みを浮かべた。
信頼できる相手を愛称で呼ぶ事・・・
ウェルスは、考えてもみれば、自身がかつてあったあの世界、あの場所から遠ざかって以来、人を愛称で呼ぶなんてしたことがなかったことに気づいた。
どれだけ信用を置いた相手でも、「あいつ」でさえも、と。
しかし。
「・・・わかった、エル。お前が望むなら、これからもよろしく頼む」
ウェルスは、何千、何万と世界を渡り続けた中、あの時以来はじめて人を愛称で呼んだのだった。
「勿論!さて、そーと決まれば!」
ウェルスの右手をとり、歩き出すエルニア。
どこへという問いにエルニアは町の案内図らしい看板を指さした。
「今夜の宿!・・・お願いだから今晩はベッドで寝させて・・・」
上目遣いで瞳を潤ませそう懇願する姿に、人によってはわざとらしい演技と思われるだろうが、ウェルスは気付いた。
これは本気(マジ)だと。
事実、街についたのだから余程の理由がないかぎり(ウェルス自身の癖の事は置いといて)野宿なんてする必要がないのにそれに当人は気付いていない。
思えば初めての野宿で不安だったところへ狼の群れの襲撃、そして寝不足、体のあちこちが痛い寝起きで最悪と、逆に可哀そうにさえ思えてきていた。
「あー・・・わかったわかった、調べものは後でいいから先に確保しにいこう」
「ほんと?ありがとう!!よし、行こ!」
その様子をくすくすと笑いながら見ていたミネルと、自分を引っ張っていくエルニアを見てウェルスはふぅと息を吐いた。
「全く・・・本当に順調(いつもどおり)にはいかないな」
そう小さく呟いたウェルス自身、気付いてはいなかったが、しっかり聞こえていてそれを見たエルニアはまた笑みを浮かべた。
言葉に反し、満更でもなさそうな顔で、少しではあるが口の端をあげているのを。
そんな彼らが歩いていく、広場の傍に建つ建物の屋根。
仰向けに寝転がり、心地よく吹く風をその銀髪を揺らしながら楽しんでいるかのような男がいた。
賑やかな広場からの声は些細な物として聞き流していたが、しかしふと、彼にとって聞き覚えのある声があったのか、体を起こし見下ろすとやはり多くの人影がある。
目を細めてその中から声の主を探すことわずか数秒。
「ん、あいつは・・・エルニアか?」
やはり聞き間違いじゃなかったと、見覚えのある姿がその視線の先へあった。
そして、その隣を歩く男の姿に目をやり、口の端を歪ませる。
「へぇ・・・パートナーがどうのこうのって言ってた気がするけど、お相手がやーっとみつかりました。てとこか?」
脇に置いていた、ウェルスの持つ物とは刀身の長さ、持ち手の意匠まで異なる大剣を握り立ち上がり、鞘に収まったまま切っ先をすぅと向けた。
「『女神に選ばれた英雄』と、どっちが強いんだろーな!」
EP1CP3−3終了
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